”全てやって下さい”と言われたら
【話題になった論文】
Quill, Timothy E et al. “Discussing treatment preferences with patients who want "everything".” Annals of internal medicine vol. 151,5 (2009)
【内容】
・”全てやって下さい”と言われた場合は、6つのStepを踏む。”全てやる”が患者にとってどんな意味があるかを理解する→治療哲学を提案する(ゴールを設定する)→治療計画を推奨する→感情への反応をサポートする→不一致の部分について交渉する→効く可能性が極めて低い負担の大きい治療法を求め続ける場合には、危害軽減の戦略を用いる
・普通、「全てやって下さい」の”全て”には、患者の苦痛が大きく得られる効果が極めて低い、ありとあらゆる侵襲的治療により心臓を動かす時間を長くする、ということは含まれていない。むしろ、治療の負担と利益のバランスがとれていることや、情緒的、認知的、精神的、家族的な関心事など、より微妙な希望が反映されていることもある。患者が望んでいるのは、手段ではなく特定のゴールである。
・臨床家は、感情的な反応に対応し、意見の相違を直接否定し、効果が期待できない負担の大きい治療を患者が要求し続ける比較的まれなケースに対しては、危害軽減の戦略を用いるべきである。このようなアプローチをとることで、患者、家族、臨床医がお互いに理解し合い、医学的に達成可能なことを考慮した上で、患者と家族の価値観を最大限に尊重した治療法を共同で開発することができるようになります。
・どんなに過酷で侵襲的であっても、”全てやって下さい”となると、治療制限設定をめぐって交渉を続けることは生産的ではない。このような状況では、臨床医は患者の哲学を尊重し、たとえ負担が大きく成功の可能性が低いとしても、「心停止時:蘇生行為あり」を指示すべきである。
・このような場合でも、臨床家は臨床的判断を行うことを提案する。(医学的に意味がないケースで)蘇生しない決定を再考するように患者と家族を何度も説得するのではなく、患者が心肺停止している場合はCPRを開始するのが適切である。このような状況下で、患者が反応しない場合に1サイクル後にCPRを停止することは、成功の可能性が非常に低いため、適切な臨床判断の一例である。これは「show code」や「slow code」とは大きく異なり、短時間ではあるが、純粋にお試しとしてCPRが試みられている。これにより、患者と家族は「できる限りのことはした」ということを知ることができる一方で、スタッフが回復の見込みのない長時間のCPRをするという無益は避けられる。
【コメント】
・おそらく、最も話題になることが多い論文の1つ。つまり、ICU領域の必読論文だということ(私見)。
・患者の価値観と医学的予後に基づいたゴールのために、できることを”全てやる”のは当たり前のことである。”全てやって下さい”と言われると面食らう(そして時に陰性感情が湧き上がる)のだが、当たり前のことをするということに過ぎない。
・当たり前のことを遂行するのとは別に、”全てやって下さい”の裏に潜む感情や懸念や心配や家族関係…などなどを推察する必要がある。急性期で話し合いに残された時間が少ない時は難しいこともしばしば。
・とはいえ、”とにかくいいから全てやって下さい”といってとっかかりもない場合や、家族が怒り出すケースは存在する。この場合、理屈での話し合いは無意味である。完全に患者が置いてけぼりになってしまうので、早急に倫理委員会など第三者の介入を依頼する必要がある。
・心停止時に、無益な蘇生行為をすることは医療者にとってスティグマとなりうるが、上記の通り、”医学的には意味のない蘇生行為も、患者や家族にとって哲学的な意味があるならやっても良い”というのは安心できる。
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