【話題にする予定の論文】
Faris H, Dewar B, Dyason C, et al. Goods, causes and intentions: problems with applying the doctrine of double effect to palliative sedation. BMC Med Ethics. 2021;22(1):141.
【Double effectについて】
緩和ケア領域で”Double effect”という単語がある。
例えば、患者の苦痛緩和を目的に、鎮静剤をフラッシュして呼吸が止まったとする。
意図せずに呼吸が止まってお亡くなりになっても、鎮静剤フラッシュの目的は苦痛の緩和であり死期を早めることではない。
ここで、鎮静剤フラッシュ→苦痛の緩和 or 死期を早めるという2重の効果が発生しうる
本来の目的が苦痛の緩和であり、本人や代理人とゴールやそのプロセスについて議論が十分にされていれば、苦痛の緩和が優先されるため、鎮静剤のフラッシュは妥当ということになる。
集中治療領域だと、2014年のICUにおける終末期のコンセンサスガイドラインの内容がよく引き合いに出される(Crit Care Med . 2008 Mar;36(3):953-63.)
この中で3つの倫理的原則が紹介されている。
1)生命維持の差し控えと中止は同等
[最初からしないのと、途中で止めるのは倫理的に一緒]
2)殺人と死を看取る(許容する)ことの間には重要な違いがある
3)苦痛の緩和は二重効果の原則により正当化される
何度これを話したか覚えていないくらい、しょっちゅう引き合いに出す内容である。
この原則を根拠に、患者の苦痛緩和に役立たない高用量ノルアドレナリンを打ち切ったりすることは普通のプラクティスであった。(ただし、倫理的な原則が心情的あるいは法律的/社会的、そして病院文化的に許容されるかは全く別問題という現実がある)
【Double effectについての批判】
本論文の主張は、「緩和鎮静および鎮痛は、二重効果の原則を適用するのに必要な条件を満たしておらず、二重効果の原則を適用するのは不適切である」という内容である。
この主張の根拠は、二重効果の原則の歴史と適用される条件の2つである
歴史:もともとトマス・アクィナスによる正当防衛における殺人の正当化から派生した倫理的原則であり、死を引き起こすリスクを相殺する善として苦痛の緩和を考慮しておらず、もともと想定している本質的な善は4つだけ(人間の生命、人間の生殖、人間の知識、人間の社会性)である。
適用されるための条件:
1. すべての合理的な、かつリスクの少ない代替案が尽くされている。
2. 少なくとも2つの予見可能な効果をもたらす行為がある。
3. その行為自体は善である(少なくとも中立である)。
4. そのうちの1つの効果は悪であり、もう1つは善である。
5. 善なる効果は、人が意図する(行為そのものが目的)ものであり、その人のさらなる意図(行為者の目的)ではない。
6. これらの善い結果と悪い結果は、介入する人によって媒介されるのではなく、行為から直接的に生じる(やる人によって結果が変わらない)。
7. 人は悪い結果を予期するが、意図するのは良い結果のみである。
8. 悪い結果は、良い結果を達成するための手段ではない。
9. 行為は、採用された手段は目的と釣り合っており、潜在的な利益は潜在的な害悪と釣り合っている(どちらかが極端なものではない)
これら2つより、終末期の現場でDouble effectを使用すべきでないとする批判は以下の通り
・そもそも歴史的背景から臨床現場でDouble effectを持ち出して良いのか
・緩和的鎮痛と鎮静が死を早めるという科学的データがなく、むしろ緩和ケアに延命効果があるという報告さえある
・一部の医師は亡くなることを期待して緩和的鎮静および鎮痛を実施しており、Double effectの誤用である
・法律的に訴えられるということをカバーすることが意図された使用になっているのでは
【Double effectが日本でも誤用されている?】
そもそも、緩和のガイドラインでも、”緩和的鎮静=鎮静剤を使用して意図的に患者の意識を低下させる”としている一方で、以下の理由で緩徐な安楽死とは明確に区別している(Ann Oncol . 2014 Sep:25 Suppl 3:)。
・介入の目的は症状の緩和であり、苦痛に耐える患者の生命を終結させることではない。
・介入は、現存する症状、その重症度、および現存するケアの目標に比例する。
[つまり、意識を落とす最低限の鎮静剤投与量にするということ]
・安楽死とは異なり、患者の死は治療の成功を測る基準とはならない
日本の緩和ケア医も、”死をもって苦痛の緩和がなされる”という意図がどれくらいあるのだろうか?
答えは11%〜である。
根拠は、最初の論文でも紹介されているのが、日本のアンケート研究である(J Pain Symptom Manage . 2018 Mar;55(3):785-791. )。
日本の緩和ケア専門医、469人が27症例をベースにしたアンケートに返信した(回答率:69%、平均53歳、男性81%、平均診療経験年数27年、約半数が無宗教)。
結果、予測された生存期間が短く、患者の希望が一貫して明確であり、症状が難治性にであると革新している時に、持続的鎮静剤の使用を適切と判断していた。
この持続的鎮静剤使用時に、49%の医師が持続的鎮静剤使用によって生存期間が短くなることを予見し、11%の医師が生存期間を短くする意図がある、と答えていた。
この結果を察するに、Double effectが誤用されているかどうかはわからないと思う。
確かに一部は誤用している医師がいるだろう。
一方で、苦痛緩和治療によって引き起こされる死が、苦痛緩和ゴールに近似する時、一部の医師は覚悟を決めている、だけかもしれない。
この文脈をDouble effectの誤用といっていいのかわからない。
【コメント】
・ある日突然、所属していたACPワーキンググループが、ホームレス中学生のように解散させられたら衝撃である。同じ様に、この論文もまた衝撃的である。普通だと思ってたことが、新しい視点で解体された感じ。
・二重効果が適応できなければ、ノルアドレナリンを継続することで患者の苦痛を引き伸ばす行為が容認されるのか?というと別問題で矛盾をはらんでしまう。
・個人的意見としては、プロセスが適正なら二重効果の批判は気にしなくて良いと思う。法律で解決しないことだって、世の中いくつもある。原則で解決しないことは、手続きで解決する他ない。仮に、二重効果を理由に持ち出さなくとも、意志決定のプロセスが真っ当であれば(重要なことは一人で決めない、ステークホルダーを集めて説明しておく、コメディカルへのブリーフィングを行う、など…)良いはず。
・臨床医は、”自分が手を下した”あるいは”訴えられる”というリスクを回避するために、多少患者が苦痛を感じていても敢えて苦痛緩和しないという行動を取りがちであるが、これはこれで誠実ではないと思う。悪いのは、Double effectの誤用である。患者にとって有益そうなことは、プロとして決断し、泥臭く提案するべきだろう。
・上の立場になるほど、意志決定のプロセスが、立場的な点やSystem1(経験から導かれる直感)でバイパスされてプロセスをふまなくなるリスクがあるため、バランスを取りたいところ。Double effectの主張1本槍だと良くない。
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